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カナダでであったある中国人

世界に散らばる中国人、多国籍の人々が集まるカナダは中国人もたくさんいます。
中国人にもいろんな人がいるし、いろいろな見方や考え方があるだろうと思います。世代に
よっても違うといっていいでしょう。その中でもわたしのであった、あるカナダ系中国人を
紹介します。
私たちが、カナダに来て間もない頃、アパートがまだ決まっていないため招待所のような
ところに一ヶ月くらいとまりました。そこは台所が共用になっていたんですが、ほとんどの人は
使用しないままで、ほとんど私達の専用台所となっていました。
あるとき、男性の方が一人一週間近く滞在したことがありました。聞くと遠い町から一人で
車を運転していらしゃって、その方はもともと中国大陸の人で、現在76歳、カナダに来て50年
以上になるといいます。今回は友人一家に会うためと、奥さんに対のカナリヤを買ってプレ
ゼントするために、一人で来たとのこと。とても76歳には見えませんでしたが…。
ある日の夜、いつものように台所で食事を作っていると、その方が入ってこられました。
そこで彼のストーリーをお聞きしました。
<中国からの脱出>
50年以上前、その方のおじい様とお父様は既にカナダにいらっしゃり、その方自身は広東
省で育ったそうです。お父様は毎月カナダから香港に生活費を送っておられたそうですが、
ちょうどその頃は共産党が設立される頃、その方が中山大学の学生のとき、香港への出境が
禁じられ、家族の生活費が底をつきます。でも16歳で結婚し(そのころは普通だったらしい)、
その頃すでに3人の子持ち!だったその方は、どうにかして中国を離れようと思案します。
というのは、家がある程度裕福で土地持ちだった彼のお母様は改革(注1)のときにひどい目に
合っていて(ガラス片の上を膝をついて歩かされるなど)、国に対する(共産党に対する)不信
感が日に日につのり、とにかく自分が先にカナダに出て、その後のことはそれから考えようとい
う気持ちで香港への出境の機会を探っていました。その頃香港にさえ出れれば、カナダへの
出境はなんとかなったのです。
当時中国は居住証というようなもので人を管理していたようですが、ある日、既に住んでいる
土地の居住証を持っている彼に、大学からもう一枚間違って居住証が渡されます。(このとき
内心ドキドキだったそうです。)すでに持っている居住証で香港行きを禁止されている彼は、
大学の居住証で香港行きができない物かとためしに申請してみることにしました。すると
なんと許可が下りたのです。
<カナダへ>
急いで香港に出た彼はもちろん二度と中国大陸に戻ることはありませんでした。
すぐカナダ行きの申請をし、その何ヵ月後かにカナダの土地を踏みました。それから彼は
お父様と再会し、約10年、“独身”と偽って一生懸命、どんな仕事もしたそうです。当時既婚
者にはカナダのビザが下りなかったからのようです。50年も前ですから、その頃のカナダは
人種差別もひどく、大変な苦労をなさったようです。奥さんと子供がカナダに来られたのは、
カナダが恩赦を行って、彼が結婚していることをカナダ政府に公にしてからでした。
その後、カナダの小さな町で印刷業を営み、60歳のときに子供に事業を渡し、それから
現在までの16年間自由気ままに隠居生活を送っているということです。
その方に、中国に帰ってみたいと思いますか?とたずねたら、「まだ中国は信用できない
から死んでも戻らない。」とおっしゃっていました。その方のお母様もカナダでなくなられた
そうです。
じゃ、あなたたちのストーリーは?と聞かれたわたし達の答えは、「わたし達のストーリーは
まだ始まってないんですよ。」
注意!:ずいぶん昔のことですので、ご本人の中で時代的に前後している部分があるかも
しれませんですが、ご本人の口述どおりに書かせていただきました。
***注1)共産党が行った土地改革、「消滅地主階級」による土地を持つ者と持たない者
とを、戦い合わせることによって、10万人近くの地主が殺害されたといわれています。***

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